―― 鬼は日に日に弱ってゆく。 **** 穏やかな昼下がり、伊達屋敷の門の前、足軽数名がたむろして何やらぼそぼそと小声で話しこんでいる。 「筆頭、最近例の鬼ンとこ、めっきり通われなくなったなァ」 「飽きられちまったのかもなァ、あの鬼も」 「熱しやすく冷めやすいタイプだもんな。筆頭」 「だけど…なんだか残念だな…」 「なんでだよ?」 「戦場以外であんなに楽しそうにしてる筆頭は久しぶりだったのになァ」 足軽達は、揃えて溜息を洩らす。 「…ちげぇねぇ」 「…」 背後から感じた背筋の凍るような威圧感に、その場にいた足軽達は全員一斉に振り返る。 「かっかっ…片倉様ッ…!」 背後にいたのは竜の右目、片倉小十郎その人だった。 鬼の形相で足軽達を睨み付け、ドスの効いた低い声で一喝する。 「コラッ!テメェら!サボってねェで仕事しやがれ!」 「す、す、す、すんませ~んッ!」 蜘蛛の子を散らすように、足軽達はドタバタとそれぞれの持ち場へ戻っていった。 誰もいなくなった門の前で、門番のヤツまでいなくなってどうするんだ、と心底呆れながら、 片倉小十郎は深いため息を落とす。 ― はァ… (飽きて下さっていたら…どんなに事は単純だったか…) 言うまでもなく、彼の主のことである。 (政宗様…ゆめゆめ御自分のお立場をお忘れなきよう…) ふと空を見上げた。 小十郎の暗鬱とした心境とはうらはらに、其処にはどこまでも高く澄んだ青空が広がっている。 **** すっかり日が暮れた。 幸村の捉われている地下牢の窓からは寒々とした秋の夜風が遠慮なしに訪なう。 幸村は、牢に一つだけ用意された机に突っ伏したままぴくりとも動かない。 「…なー」 猫の鳴き声だった。 夜の闇に紛れやって来たその黒猫は、窓から幸村の突っ伏した机に軽々と降り立つ。 腹には眼帯が括りつけてある。以前幸村がこの猫に託したものと同じ眼帯である。 幸村は重い目蓋をゆっくり上げ、猫の腹の眼帯を解く。 カサッ…丁度眼を覆う部分の布の裏に、小さな紙片が仕込まれていた。 黙したままそれを開き、そこに書かれた文字を何度も目でなぞる。 「…あとひと月…か…」 幸村は、か細い声で一度だけ呟き、心の中で何度も反芻する。 (あと一月、あと一月で俺は…) 黒猫の頭を一度優しく撫で、少し離れるように、と手で合図を送る。 猫はそれを理解しているようで、甘え声を一つ上げると、大人しく幸村から距離を置いた。 バチバチッ…? 幸村の指先から閃光が走り、持っていた紙片は触れていた部分から炎を上げ、消炭となった。 証拠は残せない。 「あと一月…この幸村…必ずや…熱き気合いで生き延びてみせようぞ…そして御館様に…」 ― 御館様…に…今…一度… ― 幸村はゆっくり意識を手放した。 黒猫の姿はもうそこにはなかった。 **** ―― 気付いちまったもんは、仕方ねェ ―― 秋も深まる夜半の頃、禊川の水は凍るように冷たい。 白装束に身を包んだその男は、ひとしきりの作法を済ませ、真新しい紅の戦装束を纏う。 そのまま程近い菊畑へ足を運び、両腰の六爪のうち一振りを抜き、数回薙いだ。 その動きは一連して研ぎ澄まされ美しく、まるで地を滑る竜の舞のようでもある。 そして、近頃は自ら近寄らないようにしていたあの場所へ足を向ける。 貫を掛けた門を開き、一歩一歩段を下る。 政宗が夜にここを訪れるのは初めてであったが、月の灯りが窓から差し込み、牢の中は薄暗くも視界は保てるようだ。 鬼は地面に体を丸めるようにして横たわっている。やはり相当弱っているようで、こちらに気付く気配もない。 牢番から預かっていた鍵を使い、牢の中へ入る。 政宗は、右手に抜き身で携えていた一爪を、おもむろに幸村の顔の真横に突きたてる。 と同時に、殺気を感じた幸村が、ハッと天井に向け体を捻った瞬間、彼の両の目を占有したものは、一面の紅色だった。 「…な……に…!?」 状況が飲み込めず、自分の体躯の上に蒔かれた紅色の菊花弁と目の前の男を交互に見やる幸村。 「食いな」 「!?」 「俺からアンタへのHeavyな愛が詰まった花束だ。受け取れよ」 幸村は一瞬、きょとんと呆けた顔を見せたが、すぐにキッと政宗を睨め付ける。 「…何を…戯けたことを…いらぬわ…」 「HA!つれねぇな。ガキどもからはホイホイ受け取るくせして、俺からは受け取れねェのか」 むっとした表情を浮かべ、警戒の色を剥き出しにし、噛みつくように応える。 「…貴殿は敵国の国主…斯様な施し…よもや裏が無いわけではあるまいに…」 「…」 (…確かに…裏はある…とびきり薄暗く浅ましい欲がな) 政宗は心の中でそのことを再認識し、一息ついて用意してきたセリフを吐きだす。 「なァ取引しようぜ」 「…」 「アンタ、俺のモノになれ」 「…!」 「俺には及ばないとはいえ、アンタの腕は買ってんだ。伊達に下り俺の部下になって俺を補佐しろ。 そうすればちゃんと餌ァ与えて不自由のない暮らしを約束してやる」 「…馬鹿なことを…」 「冗談のつもりはねぇ。全部アンタ次第だ。」 「某を侮るな…ッ!」 ひと際声を荒げる幸村。あからさまな嫌悪が全身から溢れんばかりだ。 「某は甲斐武田が家臣、真田源次郎幸村…捕虜になり生かされておるだけでも耐えがたき恥辱である上… 敵方の軍に下るなど…ありえぬわッ!」 「その割には随分必死だったじゃねーか。生への執着。virginの癖に慣れない色仕掛けまでして」 「だ…ッ…だま…れッ…」 幸村の頬が紅潮し、焦りの表情が見え隠れする。 政宗は逸る気持ちを抑え、慎重に言葉を選びながら、その鬼の変化を伺う。 「アンタ、このままじゃ死ぬぜ。」「…」 「いいのか?アンタの大好きな…」ここで一息溜め、 「…おやかたさま…」ビクッと幸村の肩が震える。 「…の役にももう立てなくなるし、会えなくなるんだぜ?」 本当はその名前は出したくなかったが、どうやらやはり効果てき面だったようだ。 「…お…やかた…さま…」 顔面蒼白で、体を小さくガクガクと震わせる鬼。早く抱きしめたい。 この、どうしようもない欲望を早く吐き出してしまいたい。 (あと…一押し…か) 政宗は大きく息を吐き、そして言う。 「俺が………欲しいんだろ?」 その沈黙は長かったようで案外短かったように思う。 幸村は躊躇いがちにゆっくり目線を上げ、決意を灯した眼差しでキッと政宗を見る。 「…………欲しい」 「…ッ」 内心、Yes!と叫びガッツポーズで飛び上がりたい衝動を無理やり押さえつけ、冷静を装う政宗。 「OK…」 横たわる幸村の隣に腰を下ろし、幸村の上半身を抱き起こす。 一面の紅色の菊花が艶やかで、幸村の瞳の色と相まって美しい。 「噛むんじゃねーぞ…」 政宗は自分の顔を、幸村の顔にぐっと近づける。目の前の顔に戸惑いの色が浮かぶ。 「…あ」 形良い唇から小さく零れる熱い吐息混じりの声。早く塞ぎたい。 「じっくり味わいな」 **** 「…あっ…まさ…むね殿っ…」 熱く湿った舌がねっとり絡み合う度に、幸村の体がビクッビクッと跳ね上がる。 「…ッ…わかっ…てる…」 両手で幸村の顔を掴み、自分に都合の良い角度となるように傾け、無我夢中で口内を舐る。 幸村も、よほど腹が減っていたのか、負けじと絡めてくる舌から唾液が垂れ、 それすらも勿体無いというように舐め取る姿が凄まじくエロい。 先程までのお堅いイメージとのギャップで余計淫靡に見える。 コイツは淫鬼の類だったのか、という、もはやどうでもいい考えが頭を過ぎるが、 波のように訪れる快楽が脳を麻痺させ、政宗は何度も眩暈を覚えた。 (やべー…持ってかれそ…) 「あっ…あ…」 「ゆき…むら…」 まるで二匹の獣のように、絡み合ったまま夜は更けてゆく。 **** 朝が来た。 窓から差す光が幸村の目蓋を焼き、ん…と小さく顔を顰め、ゆるゆると目を開ける。 見慣れた石造りの天井であるが、何かが違う。 上半身を起こし、コブシを握ったり開いたりして感触を確かめる。 (なんだ…これは…力が漲っている…今までこれ程までに満ち足りたことがあっただろうか…) ふと、隣でまだ寝こけている政宗に目を遣る。 (…今ならば…ここから出ることも…) ごくりと息を飲む。 しばらく政宗を見ていた幸村だったが、あることに気付いた。 「…!」 (ピクリとも動かれぬ……まさか…吸い過ぎたか…!?) 幸村の顔からサーッと血の気が引いた。ここで政宗に何かがあれば、自分は即、死罪となるだろう。 「…まさ…むね…殿?政宗殿っ!?」 慌てて政宗の肩を揺らし、呼び掛ける。 「…わ!」 突然伸びてきた手により、幸村の体躯が隣の男へと引き寄せられる。 「…ご無事…で…」 抱きすくめられながら、ほ、と安堵のため息を落とす幸村。 「…ふ」 政宗の口から思わず笑みが零れる。鬼でも人間の心配なんてするんだな。 幸村は政宗の微笑みの意味が分からない様子だったが、然程気にも留めていないようだ。 「政宗殿!もう朝にござる。このような御姿、片倉殿に見つかっては事ですぞ」 「…Ah……そいつは…ちっと面倒だな」 少し間があった。 政宗は幸村の唇に軽く口付けた。 「…俺は部屋に戻る」 政宗は立ち上がり、牢の入り口へと歩く。 「…今のは?」 政宗の唇が触れたばかりの自分のそれに、指で軽く触れながら幸村が怪訝な顔を浮かべる。 「…朝餉だろ」 手で首筋をボリボリ掻きながら、気まずそうに、振り返りもせず応える政宗。 「はぁ…」 腑に落ちていない様子の幸村をそのままに、政宗は、 「じゃーな」 また夜に来る、と言い残し、牢に鍵を掛け地上へと戻っていった。 (…おかしな御方だ) 政宗が去っていった階段をしばらく見つめながらも、幸村は既に頭では別のことを考えていた。 (…しかしこれ程までに力の回復が出来るならば…あとひと月…やり通すこと十分可能…!) (…見ていてくだされ御館様…!必ずやこの幸村…御館様へ極上の肉をお届けいたす…っ! 果たしてみせますぞッ!おやかたさぶあぁぁぁぁぁぁあぁぁッ!) その日伊達屋敷には、早朝から獣のような雄叫びが轟いたという。 **** 蛇足的おまけ その日、早朝警備に当たっていた足軽の一人が、こう証言を残している。 「あ…ありのまま 今起こった事を話すぜ! あの筆頭が、あの最高にCOOLでイケてる俺たちの筆頭が、 鼻の下伸ばしながら渡りをスキップしてたんだ… な…何を言っているのかわからねーと思うがおれも何を見たのかわからなかった… 頭がどうにかなりそうだった…見間違いだとか昨日の深酒のせいだとかそんなチャチなもんじゃあ断じてねえ もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ…」